教師はツラいよ

新米教員生活・本紹介などを主に。

「教師」とは、本当に「夢がある」職業なのか考えました。

 

こんばんわ。つか砂(tsukasuna)です。

 

今回は、「教師という職業」が果たして「夢」のある職業なのかについて

考えたことの覚え書きです。

 

 

年末年始は、帰省シーズンということで、

多くの旧友と会い、久闊を叙しました。

 

懐かしさを味わい合った後、話題は近況報告へ。

 

仕事の近況の話をすると、申し合わせたように

話題の核は「仕事の愚痴」に収斂していきます。

 

営業がしんどいとか、給料が引かれ過ぎとか、性格が悪くなったとか

まあそんな話です。

 

皆さん、それではまるで

苦行に耐えるために就職した」みたいですね。

 

アホ言うな。と苦笑いする友人。

すると、話の中心は私の仕事のことへシフトします。

 

 

「教師はいいよな。なんか夢があるし。

「そうよね。わたしたちはオトナを相手にしてるから、

 心がどんどん荒んでいくもの。」

 

やや嫌味のようにも聞こえますが、

多くの場合、皆さんは「教師」は「夢がある」仕事だとお思いのようです。

 

私もかつては、

教師という職業に溢れんばかりの夢と希望を抱き、

のびやかに成長してゆく子どもたちの未来に思いを馳せ、

チョークが黒板を打つ「こつこつ」という音に無限の可能性を感じたものでした。

 

 

そして無事教員として採用され、

教鞭をとってから幾何かの月日が過ぎた今。

 

 

「教師は夢のある職業か」という命題について

ひとつ気付いたことがあります。

 

 

 

 

まず、結論から申し上げますと、

 

確かに「教師」という職業は、「夢のある職業」でした。

 

しかし、それは「条件付き」といわざるをえません。

 

 

 

なぜなら、

自分が「これを子どもたちにして(させて)あげたい!」と思う夢を

実現させる時間がほとんど無いからです。

本当に残念ですが。

 

 

 

私は小学校教員ですので、

 

一部を除いて大抵の科目は、担任である自分が授業を構築しなければなりません。

これがけっこう大変です。

日々の授業の中身を用意という最低限の仕事だけで、かなり苦労します。

 

 

ですから、

「子どもたちにこれをして(させて)あげたい!」といった、

「夢」の部分、

普段の普通の授業+アルファを計画し、実行に移すためには、

 

どうしても「時間外労働」をせざるをえません。

(しかし残念ながら教師は、残業代が一円たりとも出ません。)

 

 

 

これが、「教師」は「条件付き」で「夢がある」と申し上げた理由です。

 

 

 

教師という仕事は、本当に夢が溢れています。

 

苦労して準備した授業で、子どもたちの目が輝く瞬間。

何物にも代えがたい喜びがそこにあります。

 

 

しかし教師の「仕事」には、際限というものがありません。

 

教育にノルマはありませんからね。

 

その代わりに、やろうと思えば、どこまででもできます。

 

手間と時間さえ惜しまなければ、無限に工夫ができます。

 

教材の研究には、工夫の余地がありすぎるんです。

 

そこに小さな落とし穴があります。

 

その「工夫の余地」が、ときにわたしたちを悩ませます。

 

 

 

「この授業、こういう教材を準備をしてあげたいなあ。

 でも、もう退勤時間はとっくに過ぎてるな...」

 

 

工夫の余地があるからこそ、

「工夫ができるのにあえてしなかったこと」に対する罪悪感が襲います。

 

しかしだからといって、

あらゆる工夫を試みていては、体が絶対に持ちません。

 

 

 

 

以上のことから、

 

「教師」は、

「夢があること」を実現するにあたって時間を惜しまない人に限り、

「夢がある職業」ということができるでしょう。

 

 

言い換えるならば、

プライベートを削ってまで、教材研究に打ち込める人

(というか、もはや教材研究自体を趣味にしてしまえるスゴい人)

に限り、

 

「教師」は「夢のある職業」となりえるということです。

 

 

夢の話をしているのに、

なんだか夢の無い結末になってしまいましたが、、、

 

 

わたしたちは毎日こんな風に

 

「プライベート」と「子どもたち」との板挟みのなかで

 

なんとか頑張っています。

 

 

 

ご覧いただきありがとうございました。

                 :tsukasuna